死と向き合う時間って、こんなに尊いんだ。

先日、
自分と向き合って
なりたい自分をアップデートするために
ワクワクすることを記録したよー!

ということを
お伝えしました✿

 

今日もその続きを…と思っていたんですが、
少し脱線したお話を。

続きのお話を聞きたい方は、
明日以降楽しみにして頂けると
嬉しいです^^

 

今日はどうしても
そういうことを書く気持ちじゃなかった理由。

昨日、北海道のおじいちゃんが
持病のため亡くなりました。
92歳でした。

訃報を受けた朝、
本当に心がぽっかりした感覚で。

 

そして母から訃報を聞いて
「このご時世だから無理しないで。」
と言われた時、

大好きなおじいちゃんの
最期を看取らずにこれから生きていくことに
どうしても違和感を感じてしまい。

 

おじいちゃんとの思い出を
ずっと思い出していた1日でした。

 

病気のためここ数年、
病院と施設を繰り返していて、
最近のおじいちゃんは、
たくさんの管に繋がれて
寝たきりで言葉も発せられない姿。

 

でも、私がすぐに浮かんだ
おじいちゃんの姿は、

おうちのソファに座って
たくさんの家族や孫に囲まれて
嬉しそうにニコニコしているおじいちゃんでした。

私には、父方のいとこだけで
7人いて。

私はお父さんの転勤で
3歳には北海道を離れたので、
おじいちゃんに会うのは夏休みの年1回。

となれば、
私たちが遊びに行くときは決まって
親戚一同が集まってくれて。

人数にして20人超。

いとこ皆年上なので
パートナーやらチビが増える増える^^

 

その大人数の中で
いつもニコニコしていたおじいちゃん。

おじいちゃんがいたからこそ
繋がった家族。
大好きでした。

 

今思い出している
大好きなおじいちゃんの姿を胸に
生きていくことも出来ます。

 

でも
大好きなおじいちゃんの最期を
目に焼き付けて
死を受け入れて、感謝したい。

そんな感情が溢れたんです。

 

お葬式に参加することも
難しい、厳しい世の中だからこそ
死と向き合う時間の尊さを痛感しています。

 

亡くなる、お葬式に行く
というのが当たり前だった時には
行く前から
ここまで強く思わなかったかもしれません。

 

あんなによくニュースなどで
このコロナ禍で亡くなることの
もどかしさや無念さを
情報として見ていたはずなのに、
自分事になった時、
いかにそのことを芯から理解していなかったか
改めて感じました。

 

私も今、
生徒様に何かを伝える時も
ありふれた正統一般論だけじゃなく

自分が経験して感じて、
試してよかったこと、考え方、
その生徒様に合いそうな方法

を大事にしています。

ただの情報では
きっと人の心は動かないから。

 

結局、自分の身になって初めて
分かること
感じること
考えること
重みも深みも全く違いますね。

 

今、私が心から思うのは
コロナのばかやろう、です。

 

結局、家族と話し合い、
感染対策を徹底して
親戚との接触も最小限にして
息子を旦那に託し私だけ行くことにしました。

コロナじゃなかったら
まだ会わせられていなかった息子を
連れていきたかった。

 

家族に囲まれた
最期のおじいちゃんの姿を
しっかり受け止めてきます。

 

今日はなんだかまとまりがなくすみません。
ここまで読んで下さり
ありがとうございました。

この記事を書いた人